人間の探求

人間とは何か?人間の探求 
人間の探求

人間の研究に、脳とパソコン・・・

記録と記憶の大集積。パソコンには、そこに組み込まれたハードディスクなどの記憶メディアの容量に応じた記録領域があり、人には、脳の中のある特定の位置に、記憶や記録の領域が確認されている。

長年使っていると、人もパソコンも、その記録メディアに、その個人の意識を支える記録領域に、様々な情報がいっぱいになってしまって、新たな情報を書き込めなくなってくる。

人が年齢を重ねて、『頭が固くなる』という状態がこれではないか?

新しい情報が取り入れられなくなってしまうと、それまでの古い情報によるパターンでしか生活できないままである。そうもうそれ以上は望めないということになる。せっかく今のこの時代に生きているその恩恵をも拒絶してしまうに等しい状態に陥ってしまう。

パソコンがそのような状態になると、その場合、パソコンの中身を覗いて、情報ファイルを整理し、不要なゴミファイルを捨てることをする。さらに、すでに不要になったアプリケーションプログラムさえも、アンインストールし、そのパソコンから削除していく。そうして軽くなったパソコンで、新しい必要な情報を受け入れ、サクサク作業を進めていくのである。

人は・・・、これまでの過去を捨てられない? これまでに収集してきた過去の情報を後生大切にして生きていく? 何もかも手放せない人は、過去に生きる人となり、今の時代を取り逃がしながら、退化の方向へ向かっていくしかなくなる。その結果が今を生きられなくなり、遠い過ぎ去った自分の思い出を頼りに時間を過ごす生き方になってしまう。ボケの原因とは、こういうことも一役買っているのではないかと思われるのである。

人が生きているという状態が、長年続くとそれは経験となって積み重なっていく。

その経験、人として生きた経験と言うのは貴重な情報である。

その経験、人としての経験から、事実だけを抜き出し、それを情報として、記録する。

それはとても貴重な情報源となる。しかし、ここに問題が付着している。

一般的に、人はその経験を記録記憶するとき、そのときに状況に応じた記録記憶の仕方をする。

決してその時における事実のみを抜き出して、記録記憶しているわけではない。

その経験というのが、ある事実にその時とタイミングで、それに反応して起こった感情を含む自分自身の思いを織り交ぜて記録記憶してしまうものである。

その時の自身の反応が、そこで起こったある事実に対し、その事実とは特に関係のない意味づけをしてしまうのである。 人としての経験が浅い時期にある人ほど、事実は事実として認識する事が難しいのかもしれない?

その余計な思いや関係のない意味づけなどが、いわゆるゴミファイルである。そのような情報が多く溜め込まれ、その後の行動を決定する参考材料にまでなってしまう事が多くなる。物事がうまくいかないと言う場合にこの手のゴミ情報が一役買っているといっても過言ではない。 ゴミファイルを捨ててしまえ! これが実行できれば、その人はすっきりする。

しかし、人というもの、多くの今の一般的な人の場合、それが難しいのが現状のようである。

なんせ、人の『脳』というところに、その記憶記録の保存場所がある。

『脳』というのは、人にとっての聖域であり、まだそのすべてが全部知られているわけではないではない。

人間は脳である。などという人がいるくらい、脳は人にとってとても重要な部分でもある。

『脳死』という言葉があるくらい、脳が死んだら、その人は死んだといっても差し支えないという考え方をしようといっている人がいるくらい、脳というものは人の生活において重要な役割を果たしている。

その脳にある記憶記録のうちから、ゴミ情報のみを取り出して、それを削除することが結構難しいのが実情である。

組み込まれたゴミファイル.、あるいは余計な情報や既に使われなくなったプログラムを取り除くために、時に宇宙との協力体制で、大掛かりな掃除を行うときがある。その多くはその人自身の表面意識の認識がないまま、無意識領域での作動のため、その人自身でいったい何が起こったか判らないという事件や事故が発生することがある。(その事態は、自分の深いところで自分のために引き起こしているのではないかと言う事が解ってきた。)

その時、その人の頭の中は、真っ白になる!

脳みその中の表面に蔓延るゴミ情報はとりあえず一掃できたというわけである。

その人にとって、大切な事以外は一瞬にして消えてなくなってしまうのである。

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